川越まつり

川越まつり

川越まつり

川越まつりの由来

 川越まつりは、慶安元年(1648年)川越城下総鎮守の氷川神社の御祭礼として神輿が巡業されるようになったのを起源とし、旧十カ町が年番となり、江戸の天下祭り、新河岸川舟運による川越の繁栄等の影響を受け発展し、1800年代中頃に現在の山車の原型ができたと伝えられています。囃子はその頃の羽振りの良い商家の旦那衆が囃子連を招いて祭りに華を添えていたとも伝えられています。

  明治26年の川越大火で焼失した山車もありましたが、旧十カ町以外でも山車を新調し、太平洋戦争後も市域の拡大に伴い、次々に町会が山車を新調し、連雀町も昭和27年山車持ち町内の仲間入りをしました。唐破風付きの二重鉾の四ツ車の山車で、上部勾欄には太田道灌の人形が乗せられています。また、連雀町の山車は他の町内の山車よりもひとまわり大きな造りになっており、造るときにわざと寸法を間違えたなんていう笑い話もありますが、定かではありません。

 平成8年までは10月14日、15日に氷川神社の例大祭として執り行われておりましたが、現在では、10月の第3土曜日とその翌日の日曜日(14日、15日が土日となる場合はこの両日)に行われ、初日は「宵山」、二日目に「曳き廻し」として市民の祭りとして楽しまれ、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

川越まつり

 最大の見所は「曳き廻し」で、特に夜、「ソーレ、ソーレ」の掛け声とともに威勢のよい若衆に曳かれ、提灯で飾られ、漆や金箔に彩られた絢爛豪華な山車が、辻々を練り歩き、山車と山車が出合った時に行われる「曳合せ」(ひっかわせ)にあります。これは、山車同士が接近して向かい合いになり、お互いの囃子を戦わせ、祭りは最高潮に達します。以前はこの曳合せで囃子の優劣により勝敗があり、負けたら道を譲ったという様な風習もあったようですが、現在ではこの風習も無くなってしまいました。このために川越の山車には上部だけ向きを変えられるよう、踊り舞台が回転する仕組みになっているものがほとんどです。

 平成17年2月21日、「川越氷川祭の山車行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。また、平成28年11月30日、ユネスコ無形文化遺産として33件の祭礼行事で構成される「日本の山・鉾・屋台行事」のひとつとして登録されています。

外部リンク:川越まつり公式サイト