連雀町 道灌の山車

連雀町 道灌の山車

道灌の山車

連雀町の山車は、昭和24年、町内会役員会の会合により相談の結果、合意のもとに、昭和25年着工、同26年に白木で完成。
昭和27年までに、塗、箔、金具を取り付け、同年の川越まつりに参加しました。

昭和27年10月9日 山車建造委員
昭和27年10月9日 山車建造委員

山車製作に携った方々(敬称略)
棟梁: 印藤順造
大工: 数野友次郎
大工: 岡部松二
大工: 数野岩雄
大工: 高山栄次
人形師・彫刻: 磯貝勝之
塗師: 田中福太郎
金物師: 二ノ宮
彫刻: 西田光次

太田道灌について

永享4年(1432)年生まれ。室町時代後期の武将。
川越発展の礎である、川越城。この城は、長禄元(1457)年に扇谷上杉持朝の命を受け、太田道真・道灌父子によって築城されました。
また、太田道灌は「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」の歌も有名で、山吹は川越市の花となっています。
太田道灌は、小江戸川越に深い繋がりがあります。
※ある日、鷹狩に出かけた若き日の太田道灌が、にわか雨に遭い村のあばら家で蓑を借りようとしたところ、出てきた少女は無言のまま、山吹の一枝を道灌に差し出した。道灌は怒ってその場を立ち去ったが、あとで家臣から、少女の行為はこの古歌に寄せて、蓑のひとつさえ持てないかなしさを山吹の枝に託したものだ、と聞かされて自分の無学を恥じ、それ以降歌道に精進した。と伝えられます。

山車の構造
山車の構造

構造: 四ツ車、唐破風、囃子台、廻り舞台、木彫り、漆塗り
全長: 4.5m
全幅: 3.25m
全高: 8.71m
総重量: 約4t
人形: 太田道灌(狩り装束、直垂、向袴、弓、矢、小太刀)
修繕履歴
平成元年: 人形、衣装修復(岩槻 川崎人形)
車輪修復(棒忠 元町一丁目)
平成9年: 胴幕、上段幕、引幕、水引、上段四隅房綱新調
(川島織物 京都)(絹紫縮緬雀紋白抜き)
平成17年: 塗り、箔等補修(南部白雲工房 富山)
平成19年: 彫刻補修(南部白雲工房 富山)